役に立つのはうれしいけれど

 専任で仕事をしていた頃、私は職場のセクハラ対策委員というのを拝命していた。セクハラ被害に遭った人たちの相談にあたったり、解決に向けて動いたり。そこで体得したことはたくさんあったし(一緒に仕事をした年長の同僚の影響も大きかった)人を見る目も少しは養われたし、なにより私という一個の人間を確実に成長させてくれたと思う。

 被害に遭ったり傷ついたりした女性を受け止め、しっかりと話を聞き、彼女らに寄り添いつつも、過度に巻き込まれたり方向性を見失ったり共倒れになったりしないように自分の生活領域は確保する、という、そこで身につけた術(すべ)は、仕事を辞めた後も生きているし、じっさい何度かそれが役に立ったこともあったのだけれど、私のその「技術」が役に立ったということは、残念ながら、その役に立った回数と同じ人数だけ、辛い目に遭った女性が存在したということだ。

 人の力になれるのはうれしいことなのだけれど、何とも因果なことだ。こんな形での私の存在意義など、早くなくなってしまえばいいのにと思う。