子どもなオトナ

 自分の精神年齢の低さというか、大人になり切れてなさ具合がコンプレックスになっているのだが、何となくインターネットをしていたら、こんな記事があった。(→AllAbout:精神年齢をアップさせる5つのレッスン

 曰く、以下のリストの大半に該当すると、子どもなオトナに該当する危険性が大きいのだそうで、

  • 気がつけば、何かにつけ親や夫(妻)、上司、会社などのせいにしている
  • 理想の異性の第一条件は、自分を包み込んでくれる包容力や癒し
  • 見返りもないのに、他人に施しをするのはイヤ
  • 気がつけば、自分のペースで話しているか、逆に聞き役に徹していることが多い
  • 遊びや仕事の計画を、自分主導で進めたことはほとんどない
  • 挨拶やお礼、おわびをいうのは苦手

 私もけっこう該当しちゃったりするのだが、私の身近には、これすべてに該当する人間がいる(パーフェクト!)。何を隠そう私の実母だ。このところその兆しはあるが、これからさらに高齢になっていくと、ますます「お子ちゃま化」が進んでいくのだろうなあ。ある意味、義母よりもずっと質が悪い。
 このブログでは、義母の悪口を書き散らしたりもしているのだが、ブログを開設した本当の理由は、実母の存在。数十年抱えてきてここ数年とくに明確に意識するようになった母に対するわだかまりを整理しようと思っていたのだが、でも、書いてしまうと、そこに書かれたことが確定して問題を深刻化させるような気がして、恐くて書けない。若い頃にはそれを認められなかったけれど、母が私にしたことは虐待だと確信するようになってしまったから。外から一見すると、「良妻賢母」の典型のような顔をしている私の母であるけれど。母自身も多分自分の父親(生みの母とは4歳の時に死別)や祖母などから精神的、肉体的に虐待されていたのであろうことは容易に推測されるのだが、話を傾聴する気にはとてもなれない。衣食住と教育については十分なものを与えてもらったわけで、そのことを指して私は母に感謝をするべきなのだと説く人もあるが、親子の間で何よりも重要な愛情というものを私は母からは受け取らなかったような気がする。母は自分のなかにある何かを愛情だと思っていていたのかもしれないが。
 ……という言説も、上の「気がつけば、何かにつけ親のせいにしている」に該当するわけで、このあたりが私が大人になり切れない所以かも知れぬ。
 義母の悪口というのは、――読み手の気持ちを楽しくさせるものとは対極に位置するものであるけれど――ただのうっぷん晴らしですんでいるだけ他愛のないものなのかもしれない。まあ、何と言っても他人だからな。