西の魔女が死んだ

出版されて10年以上になるこの童話の存在に、この夏に初めて気づいた。以来、何となく気になりながらそのままになっていたのを、ようやく手にして読んだ。

主人公の「まい」が若葉の季節を祖母の家ですごし、「魔女修行」をする話。

突き刺ささるように印象に残っているのは、隣家の男に対する疑念や憎悪にとらわれている孫のまいを、魔女のおばあちゃんがさとすシーン。
おばあちゃん曰く

「・・・魔女は自分の直観を大事にしなければなりません。でも、その直観に取りつかれてはなりません。そうなると、それはもう、激しい思い込み、妄想となって、その人自身を支配してしまうのです。・・・」
「あまり上等でなかった多くの魔女たちが、そうやって自分自身の創りだした妄想に取りつかれて自滅していきましたよ」

そして、真相究明により、自分を支配している疑惑や憎悪から解放されると主張するまいに対して、

「私はまた新しい恨みや憎しみに支配されるだけだと思いますけれど」
「そういうエネルギーの動きは、ひどく人を疲れさせると思いませんか?」

と言い聞かせる。

情けないけれど、今の自分がこの中学1年の少女と同じ状況にあるように感じられたのだ。もともとこの日記は、表の世界で言えないことを吐き出そうと思ってつけ始めた。いろいろと言えないことを文章の形にして吐き出せば、気持ちの整理もついて解放されるかと思ったのだった。

最近やっとわかってきたのは、そういう負のエネルギーは増幅するのだということ。形にして残すことによって、ますます自分がとらわれるのだということ。とらわれることで、歯車が軋むような音を立てて、思わぬ方向へ回っていってしまうのだということ。

西の魔女が死んだ (新潮文庫)