リテラシーの不足と思考停止、想像力の欠如

NHKの「クローズアップ現代」で、若い人の漢字の読み書きの能力が著しく低下していることを報じていた。携帯メールやパソコンの普及、それに費やす時間と、読み書きの能力、思考力の低下との関連に言及したりして、なかなか興味深かったのだけれど、冒頭の例がすごかった。

23歳の青年が「差異(さい)」という熟語が読めず(「さい」と音読はできたものの意味がわからなかったらしい)、そのために会社に大きな損失を与えたというもの。「差異のある製品ができてしまったら上司に報告せよ」という注意書きが目の前にあるのに、「差異」の意味がわからず上司に報告をせず、そのために大量の不良品を製造することになってしまい、結果として会社に130万円の損害が生じたというのだ。

もちろん「差異」などという“読んで字のごとし”の熟語の意味がわからないということ自体が大きな驚きではあるのだが、それよりも私が怖いなと感じたのは、わからないのにそのままにしてあったというその姿勢。わからなかったら、辞書ひかなくてもいいから、せめて人に聞こうよ(笑)。

でも、これと同じある種の思考停止って、マスコミにだって見られるのだよなあ。細かな揚げ足取りになるけれど、11月4日の日経(夕刊)1頁のコラムがそう。最終チェックを行う部署はどういう体制になっているのだろう。

この日のコラムは世銀の前の副総裁の西水美恵子氏が担当していて、「チーム精神」とリーダーシップの問題について彼女の経験が披瀝されていた。そのなかで「チーム」というものの多面性が紹介されているのだが、その5つの側面が箇条書き的に列挙されているところが、
(日)○○○。(月)△△△。・・・(木)×××。
という具合になっているのだ。きっと執筆者が「まる1」「まる2」・・・「まる5」と入力していたものが、機種依存文字であるために文字化けしてしまい、それがそのまま活字になったのではないかと思う。

新聞の紙面チェックに携わる人がパソコンの機種依存文字のことを知らないというのもどうかと思うが、もっと問題だと思ったのは、担当者がこの体裁にまったく疑問を持たずにそのまま通してしまったこと。普通だったら「何だこれは」と思うはずで、思ったら、なんらかの策を講じるものだと私などは思うのだが。

ちょっとした校正ミスに目くじら立てて大人げないと思われるかもしれないが、この種の「ちょっとしたミス」って、実は、内容への信頼性に大きな影響を与えるのではないかと思う(少なくとも、私は大学院生の時にそのようにたたき込まれた)。こんなものがスルーされてしまうということは、間違った内容の記事が大手を振ってまかり通っている可能性もきっとあるだろう。そもそも報道に携わる者は、「ちょっとした疑問の種」に敏感に反応するアンテナがとても大切だと思うのだけれど、もうそんなものは過去の話なんだろうか。